Carlos Kleiber 'I am lost to the world' ― 2011年04月03日 15時13分34秒
2011年。Georg Wübbolt監督。カルロス・クライバーのドキュメンタリーをBSで鑑賞。タイトル「わたしはこの世に忘れられた」というのは、マーラー作曲のリュッケルトの詩による5つの歌曲から取ったものだろう。
冒頭とラストに象徴的に使われていたのは、you tubeで既に見たことがある映像だったが、バイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」のオーケストラピットでの指揮姿だった。
もはや伝説となったウィーンウィルとの「テレーズ事件」の真相が音声で残っているのには驚いた。巷間言われていたベートーヴェン交響曲第6番ではなくて、実際には第4番の第二楽章のリハーサル中のことで、クライバーが「人の名前に聞こえる響きで。音符の長さにはこだわらないように」と指示しているにもかかわらず第2バイオリンが従わず、「弾くべき音を示しているのになんでできないんだ」と言ってクライバーが切れてバトンを指揮台に置いて去って行く音が生々しい。「テレーズ・テレーズ」を求めているのにそれでは「マリー・マリー」だと言っていたが、ニュアンスの違いはなんとなくわかった。
冒頭とラストに象徴的に使われていたのは、you tubeで既に見たことがある映像だったが、バイロイトでの「トリスタンとイゾルデ」のオーケストラピットでの指揮姿だった。
もはや伝説となったウィーンウィルとの「テレーズ事件」の真相が音声で残っているのには驚いた。巷間言われていたベートーヴェン交響曲第6番ではなくて、実際には第4番の第二楽章のリハーサル中のことで、クライバーが「人の名前に聞こえる響きで。音符の長さにはこだわらないように」と指示しているにもかかわらず第2バイオリンが従わず、「弾くべき音を示しているのになんでできないんだ」と言ってクライバーが切れてバトンを指揮台に置いて去って行く音が生々しい。「テレーズ・テレーズ」を求めているのにそれでは「マリー・マリー」だと言っていたが、ニュアンスの違いはなんとなくわかった。
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