「東京物語」2006年01月27日 22時50分44秒

ラストシーン
1953年松竹。小津安二郎監督。何度目かの鑑賞だが、見るたびに発見がある。今回一番驚いたのは、撮影当時の笠智衆が49才であったこと。もうすぐではないか。
原節子が義父母を東京見物に連れて行き、銀座の松屋の屋上から子供たちの家の方向を教えるが、あの階段は登れなくはなっているがまだ現存する。いっぺんいっておかないと。
原節子のだんなだった次男坊は戦死したという設定にあらためて気づく。尾道での笠との最後の会話で、自分は本当はずるい人間で、独り身の身体がうずくことを義母に言えなかった、と泣きながら告白するくだりは、まだまだ戦争の影が重くのしかかる当時の時代背景を示している。それに対して全く笑顔をくずさす、息子のことは忘れて再婚しなさいと言う笠の反応は、彼女にとって救いであったろう。

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