養老孟司先生講演会2011年05月18日 22時12分44秒

三省堂書店。最新作「養老孟司の大言論」三部作の発売を記念しての講演会だったが、三部作は2002年から季刊誌「考える人」に連載された随筆をまとめたもので、タイトルと直接関連あるテーマでまとめられた本ではなかったが、タイトルはどれも魅力的で、それぞれとても示唆にとんでいると思った。
GWにラオスへ虫取りに行った際に天候が悪く、お風邪を召したとのことで、「生きていることは楽しいことである」という題目だけど、体調がわるくあまり楽しくないと冒頭おっしゃった。最近どういうことを考えているかということで、ふたつのテーマについて興味深い話を聞けた。
曰く、人間は地図において現在位置を示す矢印のようなものである。実際にそれを認識する部位が脳にあって、ここを怪我した人の体験談によると、自分がどこにいるかわからないために水のような存在になり、それが快感であったという。精神と身体を分ける二元論的な考え方は欧米人特有のもので、日本人は仏教の影響で、もともと自分というものはあるに決まっていることに確信を持っているので、自分探しということにこだわる必要はない。アメリカの学生に自分が決めたいと思う事を書けというと紙の裏表にぎっしりと書くが、日本の学生は2行しか書けないそうだ。アメリカ人はそれだけ自分というものを主張し続けないと確信が持てないということになる。共生という考えをアメリカ人は嫌い、自分がリードすればいいんだという考え方は、あきらかに日本人の考え方とは違う。本来、世間というものは、いろんな人の知恵が共同主観的になりたっているものであり、長い物に巻かれろというのはそうしていれば、個人というものを強く意識しなくても問題なく暮らしてこれたわけだが、最近はその世間のほうがぐらついてきているという状況なのではないかと。
田んぼを見せて、学生にあそこに自分がいるね、と言うときょとんとするが、ご飯を食べるということは稲を通じて自然と自分が一体のものであるということであり、魚を食べるということは自分と海が一体であるということだと教えているとのこと。アポロ11号のアームストロング船長は月に立ったが、宇宙服と自分の間には地球の大気が必要で、なければ月で生きていることはできない。人間は地球と一体だということ。

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